灘の酒造地帯を俗に灘五郷と言う。阪神間では酒造りに適した酒米(山田錦)
と、上質のミネラル水である宮水が得られ、海上輸送に便利な良港にも恵まれ
ていたことから、江戸時代初期より酒造りが盛んになっていた。時代により
変遷を経て来たが、現在の灘五郷とは以下の5地区である。
・今津郷 西宮市今津地区
・西宮郷 西宮市浜脇、用海地区
・魚崎郷 神戸市東灘区 魚崎、本庄地区
・御影郷 神戸市東灘区 御影、住吉地区
・西郷 神戸市灘区 新在家、大石地区
これらの地区には酒造会社が開設した蔵元見学が可能な施設や、資料館が
点在している。その中から御影郷の菊正宗酒造記念館を訪れてみた。
一定以上の年齢の方ならば「やっぱりぃオレーはぁ菊正宗~♪」という
西田佐知子のCMソングをご存じのことだろう。灘の生一本の代表的
銘柄である。
晴れわたった秋の日、阪神電車の魚崎駅に降り立つ。北に向かえば谷崎潤一郎の
倚松庵も近いが今日はそちらには向かわない。南へ下るのだ。ここから新交通システムの
六甲ライナーに乗り換えてもいいのだが、わずかひと駅。当然歩くことになる。住吉川左岸の
河畔遊歩道をのんびりと下る。川幅は広くない。側面を完全にコンクリート護岸で覆われた
都会の川。犬を散歩させる人が多い。神戸市内の川はいずれも六甲山系に源を
発し、短い傾斜地を駆け下りて一気に海にそそぐ。ときおり鉄砲水に見舞われる
こともあるが、そもそも宮水とは六甲山の伏流水のひとつと考えられているのだから
この住吉川の水も宮水の親戚くらいにはあたるのだろう。その証拠に夏には蛍が飛び交う
ほど水質は清らかだ。右岸には六甲ライナーの高架線があって、ときおり列車が静かに
走り去ってゆく。ゆっくり歩いても10分もかからず菊正宗酒造記念館の傍らに着く。
黒い本瓦葺の重厚な屋根に、焼杉板張りの外壁が美しい酒蔵特有の建築だ。菊正宗酒造の本屋は
ここから少し西に離れた御影本町にあるのだが、元々この記念館はそちらの敷地内にあった。
しかし1995年の阪神大震災により倒壊。展示されていた資料もガレキの下敷きになって
しまったのだが、酒造用具などが丁寧に掘り出されて無事だったことは不幸中の幸いで
あった。1999年に建物を全面建て替えして現在地で復興した。
菊正宗の創業は万治二年1659年、関ヶ原の戦いからわずか60年しかたっていない
江戸初期で実に360年近い歴史を有している。この記念館では酒造りの見学は出来ないが
ガレキから掘り出された国指定の重要有形民俗文化財である「灘の酒造用具」や小道具類が
展示されており、江戸期からの酒造りの歴史を偲ぶことができる。自分への土産に湯呑型
の猪口を買って記念館をあとにした。